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Randのブログ

NHKウォッチャー・朝ドラ部・コンビニウォッチャー・モヤモヤする疑問・東西比較・ことばおじさん

【油性マーカーの代名詞】

【油性マーカーの代名詞】

 

その言葉自体が代名詞化しているモノ。
「マジック買ってきて!」 と誰かに依頼した場合。
本来は #寺西化学工業#マジックインキ を指し示しているはずなのに、頼まれた人は ほぼ100%の確率でゼブラの #マッキー を買ってくる。
マッキー1本で太字・細字両用、大体どの用途にも使えるからだろうか?
コンビニ・スーパー・ホームセンター・ドラッグストア等においてゼブラマッキーのシェアは圧倒的であり、実際はそういった事情の方が大きい。
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他社のマーカーが置かれていたとしても種類は少なく、見かけるにしても #サクラマイネーム ぐらいだろう。(※100円ショップは除きます😔)
文具専門店にでも行かない限り、まず本物のマジックは置いてない。(※マジック=マジックインキの略称であるという解釈です😊)
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普通は誰も、油性マーカーに対してボールペンほどのこだわりはないのである。 
三菱の #ジェットストリーム 派 又は #パワータンク 派、ゼブラ #サラサ 派、ぺんてる #ビクーニャ 派といった熱狂的支持者がいるボールペンとは事情が違って、油性マーカーについては書き味はあまり重視されないようだ😔。
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話題をマジックインキに戻します。
※マジックインキの登録商標を持っているのは、情報システムやオフィス構築を手がける#内田洋行 である。
寺西化学工業のホームページを見ると、こんな風に開発秘話が記されている。
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"戦後の混乱がまだ冷めやらぬ1951年、 アメリカの進んだ産業界を視察し、戦後復興に役立てようという目的で「アメリカ産業視察団」の一行がアメリカに向け飛び立ちました。 その視察団の中に当時内田洋行の社長であった内田憲民(Pic下段左)がいました。 約3ヶ月にわたる視察の間に内田社長が買い求められた色々な商品の中に「スピードライ社」が発売しているフェルトペン先を使った新しいタイプの筆記具がありました。
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帰国後に開かれた見本市会場でこれを見つけた寺西長一(Pic下段中央・寺西化学工業創業者)は、さっそく内田氏にこの新しいペンの研究開発をしたい旨申し出ました。 内田氏の話では、アメリカで新発売されヒットしている新しい筆記具という話でした。"
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ところが、持ち帰ったフェルトペンは輸送便の扱い方が乱暴だった為 壊れていたのです。
ここから千林大宮の小さな町工場によるプロジェクトXが始まります。
その壊れたペンの部品ひとつひとつを詳細に観察。フェルトペンの構造を解析しました。
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アメリカの製品を 当時日本で手に入る数少ない物資だけで再現しようとしますが、無理があり過ぎました。最初から上手くいくわけなかったのです。
でも寺西社長は諦めません。内田洋行も物資調達に東奔西走して協力したことでしょう。
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わしらで『魔法のペン』をつくるねん!
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熱い男たちのドラマが町工場の中で繰り広げられました。
当時もし #池井戸潤 さんがいたら、
下町マジックという小説を書いたかもしれません。
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血のにじむような努力で、どんな材質のモノに書いても にじまない魔法のペンを作ろうと皆必死でした。
ゴールの見えないマラソンは二年間も続きました。
みんなバテバテの状態、ひとり倒れふたり倒れ、どんどん脱落していきました。
そんな試行錯誤ののち、ようやく完成したのがマジックインキだったのです。
"「マジックインキ」は、それまでの筆記具の常識を打ち破り、紙はもちろん、ガラス・プラスチック・布・皮・木材・金属・陶器など、 どんなものにもよく書け、インキの補充なしに連続筆記が出来、すぐに乾き、雨でも・手でこすっても取れないという、 当時としてはまさに「魔法の筆記具」だったのです。"
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こうして生まれたマジックインキが爆発的なヒットを飛ばしたのは もう何十年も前の話です。
その存在自体は、現在では薄~く消えかかったものになってしまいましたが、『マジック』という言葉は油性マーカーの代名詞として現在もクッキリと残っているのです。
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そんな魅力的な企業を生み出した町・大阪市旭区千林大宮
かつて流通業界のトップにまで登りつめたあの#ダイエー の1号店は、この町にありました。
#当たりやおばさん にも逢える素敵な町ですよ~(^^)/
最後まで読んでくれて、おおきに🙇

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